1994年より冬季パラリンピック競技として採用されているパラアイスホッケーは、スケート靴の代わりにスレッジと呼ばれる専用のそりに乗り、両手にスティックを1本ずつ持ってプレーを行います。
スティックの先端についたピックと呼ばれるギザギザとした金属を氷に打ち込むことで前進し、ブレード部分でパックを操ることでパスやシュートを打ちます。
ボディチェック(体当たり)が認められているため「氷上の格闘技」とも言われる激しいスポーツです。
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4月19日(土)苫小牧民報 夕刊に、パラアイスホッケー日本代表の苫小牧市長表敬訪問について記事が掲載
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4月17日(木)日本経済新聞 朝刊(北海道版)に、アスノシステム所属の森崎天夢選手(パラアイスホッケー日本代表)の記事が掲載
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3月10日(月)NHK BS「武井壮のスポーツプラネット」に、アスノシステム所属の森崎天夢選手(パラアイスホッケー日本代表)が出演
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パラアスリート社員の森﨑天夢選手が日本代表として出場した「2025ジャパンパラアイスホッケーチャンピオンシップ」で3位
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パラアスリート社員の森崎天夢選手が日本代表として出場した「パラアイスホッケー2024世界選手権A-Pool」で8位
プレスリリース
新たな試みとしてパラアスリートを採用!新卒18歳のパラアスリート 森崎 天夢(もりさき あむ)選手が入社
年 | 大会名 | 結果 |
---|---|---|
2023 | 2023パラアイスホッケー世界選手権B-Pool(日本代表) | 優勝 |
2024 | 長野日野自動車杯 第32回全国クラブ選手権大会(北海道ベアーズ) | 3位 ベストプレイヤー賞 |
2024 | 2024パラアイスホッケー世界選手権A-Pool(日本代表) | 8位 |
2025 | 2025ジャパンパラアイスホッケーチャンピオンシップ(日本代表) | 3位 |
Morisaki Amu
森崎 天夢
パラアイスホッケー2024世界選手権Aプール日本代表選手/
2024シーズン強化指定選手
出身地:北海道札幌市
入社年度:2024年
所属チーム:北海道ベアーズ
ポジション:Forward
背番号:17
1994年より冬季パラリンピック競技として採用されているパラアイスホッケーは、スケート靴の代わりにスレッジと呼ばれる専用のそりに乗り、両手にスティックを1本ずつ持ってプレーを行います。
スティックの先端についたピックと呼ばれるギザギザとした金属を氷に打ち込むことで前進し、ブレード部分でパックを操ることでパスやシュートを打ちます。
ボディチェック(体当たり)が認められているため「氷上の格闘技」とも言われる激しいスポーツです。
森崎選手は先天性絞扼輪症候群右下肢2分の1以上欠損という障がいを持って生まれました。
小さい頃から体を動かすことが大好きだったそうで、高校3年間体育の成績が良くずっと一番よい評価をもらっていたと素敵な笑顔で教えてくれました。
クラスのみんなからはおしゃべりな印象で、パラアイスホッケーのチームメイトからは何をしても穏やかなので、怒らせてみようとイタズラを仕掛けても笑いに変えられてしまうと言われているくらい温厚なお人柄。
いつも優しい笑顔で癒される雰囲気の森崎選手。
鍛えられた体格から力強さと周りに温かい空気を与えてくれます。
パラアイスホッケーとの出会いは高校二年生のときでした。
オリンピック・パラリンピックなど世界レベルの競技大会で輝く未来のトップアスリートを発掘するプロジェクト『J-STAR』に応募したことがきっかけでした。
最初はパラアイスホッケー以外に車椅子バスケや陸上、スノボにも興味をもっていて、両親からは全部やってもいいと言われていたのですが、怪我のリスクなども考えて一つに絞ることにしました。
興味があった競技の中からどれにしようかと考えて、激しいスポーツが大好きなので『氷上の格闘技』と言われるパラアイスホッケーを始めることにしたんです。
激しいぶつかり合いが一番の魅力だと思います。
パラアイスホッケーは『スレッジ』という専用のソリに乗ってプレーするのですが、迫力満点のソリのぶつかり合いはパラアイスホッケーならではのものです。
『J-STAR』に応募した後、2018年の平昌パラリンピックでのパラアイスホッケーの試合を見て『早くやってみたい!』と思ったのを今も覚えています。
何事も諦めずにチャレンジすることを大切にしているので、「TO CREATE TOMORROW. ─明日を創造する企業─」というアスノシステムのスローガンに共感して入社しました。
2024年5月から世界選手権A-Pool日本代表として出場しますが、会社の名前を背負って、日本代表としてA-pool残留に貢献し、2026年にミラノ・コルティナダンペッツォで開催されるパラリンピックに出場したいと思っています。
その先も、いつか故郷の北海道でパラリンピックが開催される時にも選手として出場できるように、生涯現役で一生パラアイスホッケーを続けていきたいです。